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「常識に囚われる」とは何か|常識は常に正しくはない

「常識に囚われる」とは何か|常識は常に正しくはない 自分を守るための話

「普通はこうするものだ」「いい年してそんなことを」「常識的に考えて、ありえない」。こうした言葉に、自分でも気づかないうちに縛られていると感じることはないでしょうか。何かをしたいと思っても、「でも、普通はやらないよな」と一歩引いてしまう。誰かの選択を見て、「常識外れだ」とざわついてしまう。

そのざわつきや息苦しさの正体は、もしかすると「常識に囚われている」状態かもしれません。

この記事は、「常識に囚われる」というテーマを扱うシリーズの最初の1本です。ここで最初にお伝えしたい結論があります。それは、常識とは「絶対の正しさ」ではなく、「ある時代の、多数派の前提」にすぎない、ということです。常識そのものが悪いわけではありません。けれど、それを疑いようのない真実だと思い込むと、自分の人生がどんどん窮屈になっていきます。まずは、その仕組みを一緒に見ていきましょう。


「常識」とは、正しさではなく「多数派の前提」

私たちは、「常識」という言葉を、まるで動かしようのない事実のように使います。けれど、常識の中身をよく見てみると、その多くは「みんながそう思っている」という共有された前提でしかありません。

人は、何が正しいかを判断するとき、自分の頭だけで考えるのではなく、「周りの人がどうしているか」を強力な手がかりにします。多くの人がそうしているなら、それが正しいのだろう、と感じるのです(※1)。これは、いちいち全部を自分で検証しなくてすむ、便利な仕組みでもあります。

ただし、便利さには裏側があります。「みんながそう思っている」ことと「それが正しい」ことは、本来別のことです。多数派であることは、正しさの証明ではありません。常識とは、正しさのラベルを貼られた、多数派の前提なのです。


なぜ常識は「絶対の正しさ」に感じられるのか

それでも常識が「動かせない真実」のように感じられるのには、理由があります。

一つは、私たちが自分のものの見方を「客観的な事実」だと思い込みやすいからです。研究では、人は自分の判断を偏りのない正しいものと感じ、自分と違う他人のほうが偏っていると考えやすいことが示されています(※2)。だから、自分が握っている常識ほど、「これは事実だ、疑う余地がない」と感じてしまうのです。

もう一つは、常識から外れること自体に、居心地の悪さがついてまわるからです。人の脳は、自分の感覚が多数派とずれているとき、その違いを不快なものとして処理することがわかっています(※3)。「常識外れ」と思われることへの不安は、気の弱さではなく、人に備わった反応なのです。

この二つが合わさることで、常識は「正しくて、しかも逆らいにくいもの」として、私たちの中に居座ります。


常識には「賞味期限」がある

さらに見落とされがちなのが、常識は時代とともに変わる、という事実です。

かつては当たり前とされていたことが、今では古いとされる。逆に、昔はありえないとされたことが、今では普通になっている。終身雇用、転職への見方、働き方、家族のかたち。少し前の「常識」を思い出すだけでも、それがいかに移ろうものかがわかります。

つまり常識の多くは、「過去のある時点で、多くの人にとって都合がよかった前提」です。その前提が、今のあなたの状況にも当てはまるとは限りません。常識には、いわば賞味期限があるのです。古くなった常識を後生大事に握りしめていると、現実と合わなくなり、苦しさだけが残ります。私たちは知らないうちに、自分の頭の中に「壁」を作り、その内側だけで考えてしまうことがあります(※4)。


「思考の癖」と「常識に囚われる」は違う

ここで、似たテーマとの違いを整理しておきます。当ブログではあなたの「思考癖」はあなたの強み|思考の歪み総合ガイドで、個人の思考の癖を扱ってきました。

思考の癖は、「全か無か思考」や「過度の一般化」のように、その人の内側で起こる認知のかたよりです。一方、常識に囚われることは、外から与えられた集団の前提を、自分の中に取り込んでしまう状態です。出どころが、自分の内側か、社会の側か。ここが大きな違いです。

もちろん、二つは重なり合います。外の常識を取り込みすぎると、それが自分の「べき思考」になっていく。だからこそ、自分を縛っているものが、内側の癖なのか、外から来た常識なのかを見分けることが、生きづらさをほどく手がかりになります。


常識に囚われると、何が起きるのか

常識に強く囚われると、いくつかのことが起こります。

一つは、思考が止まることです。「常識だから」で考えるのをやめてしまうと、自分にとって本当に大切なことを見失います。二つ目は、生きづらさです。自分の本音より「普通」を優先し続けると、自分の人生を生きている感覚が薄れていきます。三つ目は、自分や他人を責めることです。常識からはみ出した自分を「ダメだ」と責め、常識を破る他人に苛立つ。常識が、自分と他人を裁く物差しになってしまうのです。常識が言い訳や正しさの顔をして、私たちの行動を止めてしまうこともあります(※5)。

逆に言えば、常識を「絶対の正しさ」から「ただの前提」へと見方を変えるだけで、これらの息苦しさは少しずつゆるんでいきます。


今日からできる小さな一歩

今日試してほしいのは、自分を縛っている「常識」を、一つだけ言葉にして書き出してみることです。

「いい年して、こんなことをするのは非常識だ」「普通は、こうあるべきだ」。最近自分にブレーキをかけた「常識」を、思い出して書いてみてください。そして、その文の頭に、そっとこう付け足します。「みんながそう思っているだけで、本当にそうとは限らないけれど」。

たったこれだけで、絶対の真実だと思っていたものが、「一つの前提」に格下げされます。格下げできれば、それに従うかどうかは、あなたが選べるようになります。今日のところは、従うのをやめる必要はありません。「これは前提にすぎない」と気づく。その一歩だけで十分です。


まとめ

「常識に囚われる」とは、ある時代の多数派の前提を、絶対の正しさだと思い込んでいる状態です。人は周囲を手がかりに正しさを判断し、自分の見方を客観的だと感じ、常識から外れることに居心地の悪さを覚えます。だから常識は、正しくて逆らいにくいものとして、私たちの中に居座ります。

けれど常識には賞味期限があり、今のあなたに合うとは限りません。そして常識に強く囚われると、思考が止まり、生きづらくなり、自分や他人を責めるようになります。

大切なのは、常識を捨てることではなく、「これは絶対の正しさではなく、ただの前提かもしれない」と一歩引いて眺められるようになることです。次の記事では、ではなぜ人はそこまで常識に縛られてしまうのか、その仕組みをもう少し掘り下げていきます。


参考文献

※1: Cialdini RB, Goldstein NJ. Social influence: compliance and conformity. Annu Rev Psychol. 2004. PMID: 14744228
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/14744228/
人が「何が正しいか」を判断するとき、周囲の多くの人の行動を強力な手がかりにすること(社会的証明)を含め、社会的影響の仕組みを整理したレビュー論文。

※2: Pronin E, Gilovich T, Ross L. Objectivity in the eye of the beholder: divergent perceptions of bias in self versus others. Psychol Rev. 2004. PMID: 15250784
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/15250784/
人は自分のものの見方を客観的で偏りのないものと感じ、自分と違う他人のほうが偏っていると考えやすいことを示した研究。

※3: Berns GS et al. Neurobiological correlates of social conformity and independence during mental rotation. Biol Psychiatry. 2005. PMID: 15978553
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/15978553/
自分の感覚が多数派と食い違うとき、その違いが知覚や感情のレベルで脳内に処理され、同調が意志だけの問題ではないことを示唆した研究。

※4: 養老孟司『バカの壁』新潮社, 2003, ISBN: 9784106100031
人が自分の理解の枠の外を遮断し、その内側だけで考えてしまう「壁」の仕組みを論じたベストセラー。

※5: 鴻上尚史『「空気」を読んでも従わない 生き苦しさからラクになる』岩波書店, 2019, ISBN: 9784005008933
日本の集団に流れる「空気」や常識・同調圧力の正体を解きほぐし、その前提と合わないことは欠陥ではないと示した書籍。

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